姫路 教会 プロテスタント
伝道開始40年のあゆみ(2007年12月発行)
巻頭言
「主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅」 田中豁
姫路伝道所の伝道開始は、1968年9月1日でした。去る9月1目には40周年を迎え、9月9日に40年感謝礼拝を守ることができました。
40年という歳月は、キリスト教の2000年にわたる長い歴史から見れば、ほんの一瞬の時間にすぎず、とるに足りない歩みでありましょう。しかし40年という歳月は、人の一生、団体の活動にとっては常に大きな区切りを意味しています。40年も経つと設立当時の責任ある立場にいた指導者たちが退き、会員たちの異動もはげしく、時代の状況も大きく変化してしまいます。しかし、キリストの教会は人が替わり、時代が変わっても、先達の信仰と福音宣教の尊い事業は継承されて、今日の時代にその使命を果たしていく責任があります。それは現在
の私たちの課題です。
姫路伝道所の出発点は、かつての戦争末期に牧師の徴用、召集、会員の疎開、姫路大空襲による住宅の被災などによって消滅した旧日本キリスト教会の再建を願う吉田完次先生のあつい祈りによるものでありました。
伝道開始四十年を迎えて、吉田完次先生の第一の所感は「よくぞここまで続いた」という驚きと感謝でした。ついで「希望は捨ててはならない。どんなことがあっても希望は持ち続けよう」というお言葉でした。
申命記8章1~10節には、イスラエル民族の「荒れ野の40年」の意味を述べています。
「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして、主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち、御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることを、あなたに知らせるためであった。この四十年の間あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があ
なたを訓練されることを心に留めなさい。」と。
このみ言葉は、モーセの時代の人々に限らず、今日の私たちにも語られているみ言葉であります。四十年にわたる荒れ野の試練を想いおこさせ、聞き手に苦しみと飢えの中で訓練された意義を「人が自分の子を訓練するように」親子の関係になぞらえて励ましています。
伝道開始四十年の歩みを感謝して、神の恵みによる訓練とその意義を想い起こしましょう。そしてこれを機にいっそう姫路における伝道と教会の形成に忍耐づよく、希望をもって主に仕えていきたく祈ります。